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タイの正式名称は、タイ王国(Kingdom of Thailand)。日本よりも大きな国土をもち(タ
イの面積は51万4,000平方キロメートル、日本は約38万平方キロメートル)ますが、人
口は日本の約半分です(約6千万人:2002年)。タイは熱帯に位置しており、南部のマレ
ー半島と北部山岳地帯を除く国土の大部分は、熱帯モンスーン気候地域になります。年間
を通じて1日の最高気温30〜35℃、最低気温は首都のバンコクで24〜27℃、北部の都市
チェンマイで14〜24℃といったところです。湿度は平均70〜80%とほぼ常に高い状態で
す。タイの季節は大きく雨期(5月中旬〜10月)、乾期(10月〜2月)、暑期(2月中旬
〜5月)の3つに分けられます。 タイの大多数(約80%)はタイ系民族で、その他に中国系やマレー系、山岳少数民族
などが住んでいます。公用語はタイ語。北部山岳地帯に住む少数民族それぞれ異なった言葉を持っているため、正確には何種類の言語があるか分かっていないともいわれています。
宗教は仏教(小乗仏教)が95%で、仏教は国教であり、25000以上の寺院があります。仏
教を中心とした社会行事、日常生活が行われ、男子は一生のうち一度は寺に入り僧侶として生活する習慣が根ついています。また、タイ仏教は精霊信仰とも深く結びついています。
歴史的には、古くは中国の揚子江以南に住むタイ族が、漢民族の圧迫によって1世紀頃から南下をはじめ、ラオスを通
過して現在のタイの地に入ったといわれています。1238年のスコータイ王朝から統一国家をなし、次にアユタヤ朝が36代続きましたが、1767年にアユタヤ王朝はビルマ軍に滅ぼされます。その後、ビルマを破ったタクシン王朝を経て、1782年にラマ1世が王位
につき、都をバンコクに移してチャクリ王朝が始まりました。やがてタイは、ヨーロッパ列強諸国による植民地化の恐怖にさらされることになりますが、当時の国王ラマ5世は、1896年にタイの独立を保障する協定を終結させ、現在も国民に“タイの国父“と仰がれています。ラマ5世は内政でも活躍し、奴隷制を廃止して、司法、行政を近代化して、鉄道、電信、電話を敷設しました。しかし、ラマ7世の時代になると長年の王族専制政治に国民の反感がつのり、1932年には無血クーデターによって人民党が政権をにぎりました。同年、憲法が発布され、立憲君主国としての新政タイが誕生します。以後、立憲派は文官派と軍人派にわかれ、第2次世界大戦中は軍人派が権力をにぎり、日本と協力関係にありました。しかし、第2次世界大戦終了直前に連合国側につき、戦勝国となりました。戦後はこの2派が交互にクーデターを起こし、92年に軍と民主勢力との間で流血事件が起きて以降、軍部が政治介入を控えるようになり、民主主義のルールに則った文民政権の交代が行われてきています。現在のラマ9世、プーミポン・アドゥンヤデート国王は、長い欧米生活を経験した国際感覚豊かな国王として国民から慕われています。
インドシナ半島にあって、過去一度も欧米の植民地主義に伏することなく、独立と独自の伝統文化をもってきた歴史は、タイ国民の大きな誇りと自尊心になっています。
産業と経済をみてみると、1996年のGNPにおいて非農業部門の割合は約9割にのぼり、
そのうち工業部門は28.6%を占めています。観光業も外貨獲得の大きな役割を果
たしています。GNPに占める農業の地位は低下してきていますが、農業に従事する人口は国民の約5割にのぼり、依然として重要な産業です。また、近年日本をはじめとする諸外国からの投資が急激に増え、タイ国内に工場を構える企業が非常に多くなっています。「タイは日本の工場」という言葉にみられるように、日本にも農産物をはじめ工業製品など数多くのものが輸入されています。タイから海外に輸出されるものには、コンピューターやその部品、IC、自動車、衣料、冷凍エビ、宝石、コメ、たまねぎなどの野菜、鶏肉(焼き鳥用に串にさされたものなど)があります。
現在のタイ経済のしくみは、華人(華僑)と呼ばれる中国系の人々を中心に構成されており、タイ系の人々に経済の力がないという問題があります。華人は、支配階層である官吏や軍人とむすびついて、タイの産業全域で力をふるっています。工業は500万都市のバンコクに集中しており、近年は中産階級の台頭がめざましく、官吏・軍人や華人の資本家層と、労働者・農民層との貧困の差は著しく大きくなっています。
通貨はバーツ(1ドル=約44バーツ:2001年7月29日時点)です。タイでは1997年7
月に為替を変動相場制に移行しましたが、バーツが大幅に下落し、経済危機が発生して国際的な問題となりました。その後、タイ政府はIMF及び我が国を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力しました。タイ政府の財政政策を含む景気対策や好調な輸出などにより、低迷を続けていた経済は1999年に底を打ち、回復基調にあるとされています。
このようなタイ国内にあって、北部の山岳地帯に住む少数民族の人々は、独自の言語と
文化をもって暮らしてきました。タイの少数民族は元々中国の揚子江中流域に住んでいま
したが、漢民族や中国王朝の迫害を受けて中国西南の山岳地方へ移住しました。その後ベ
トナムやラオスに移りましたが、ベトナム戦争やラオス内戦などにより追いやられて現在
のタイ山岳地方に至っています。山岳少数民族は、ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオス、
カンボジアなどの国境地帯に数多く暮らしており、特に、中国、ラオス、タイ3国の国境
地帯は「黄金の三角地帯」といわれてアヘン栽培なども行われてきました。これらの人々
は、それぞれの国内にあっては痩せたわずかな土地をもつだけであったり、言語や文化、
教育的の面で差別を受けたり、また紛争によって難民として国外に追われたり、難民とし
てもとの国に返されたりといった歴史を背負っています。これらの地域で発生する難民は、
開発途上国である近隣諸国に大量に流れ込み、そこに住んでいた住民との摩擦を生んだり、
途上国政府の大きな経済的負担になったりすることもあります。 参考文献:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/index.html
ビジュアル大辞典「世界の国々」 2003年 昭文社、その他 |
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